妄想人、歴史の山を歩く。
もこの体調も、今の所一段落と言っていいだろう。
もこを置いて二人して長時間外出するのは、まだ控えた方が良さそうだが、どちらか一方だけなら、そろそろ解禁してもよさそうだ。
「んじゃ、高良山にでも登って来る。」
久々の山歩き、、、というより、外出自体が病院以外は久々である。
高良山には、いくつもルートはあるが、今日は何だか、不人気な吉見嶽コースを歩きたくなった。

僧房跡や、古い墓所が立ち並ぶ、とってもゴージャスなコースなのだ。
ここを歩くときは、霊の一つや二つに出会ったとしても、腰を抜かしてはいけない。
そんな時は、お辞儀の一つでもして、ゆっくり立ち去ろう。
嘘だ。

吉見嶽直下には展望台がある。

谷を一つ越えた先の小山は、筑紫の磐井の居城があったとされている小山である。
磐井は八女のイメージが強いが、実は高良山が本拠地である(無論、豊前説など諸説ある)
高良山には、磐井の井戸、磐井川、磐井城などにその名残りがある。

この階段を上った先が、吉見城主郭跡。
秀吉が島津征伐の折、ここに陣を敷き、島津と共に九州の雄であった竜造寺隆信を謁見した場所である。

吉見城堀切跡。
吉見城は戦国期に八尋氏により築城され、その後長らく高良山座主の勢力下に置かれた。
そう、高良山は一大武力勢力だったのだ。

高隆寺跡。
7世紀、高良山に建立された初めての仏教寺院とある。
しかし、私は6世紀前半には、すでにこの地に仏教は伝来していたと考えている。

吉見嶽コースから高良茶屋前に出、続けて北面コースを行く。
以前にはなかった巨大な倒木があった。
台風かなんかで倒れたのかな。

空が開けると、森林つつじ公園の背後にそびえる高良山頂上が見えてくる。
高良山とは、耳納山地の西端辺りの山塊を総称してそう呼び、その山頂は毘沙門岳と使い分ける事も多いようだ。

毘沙門岳山頂。
南北朝時代、この場所を中心としてY字型に郭が築かれた。
所謂、毘沙門城である。
征西将軍護良親王がここに陣した。

西ウイングとも言うべき毘沙門城西郭跡。
小郡、大刀洗へと続く、筑紫平野が北方に広がる。
日本三大合戦の一つ、大保原の合戦の舞台である。

高良山から鳳山へ。

この枝、何かの動物が座っているように見えない?
一番最初にこの場所を通った時、眼球が30㎝ぐらい飛びだすほどに、びっくりした事を思い出す。

鳳山山頂。
ここは、杉ノ城という城郭跡である。
同じく南北動乱の時代、南朝方主力の菊池勢がここに陣した。

高良大社裏まで降りて来た。
この場所が神籠石の最頂部となる。

鳳山を下ると、奥の院へと続く山道にでる。
今回はそれをそのまま横断し、神籠石の立ち並ぶコースを降りる事にした。

しばらく行くと、神籠石が再び姿を現す。

筑紫大地震の時にできたと言われる、2mはあろうかと思われる断層。
筑紫大地震は耳納断層によるものである事は解っている。
この次にこの断層が暴れるのは、果して何時の事であろうか。

大地震の際に崩落した神籠石群。
この神籠石が歴史上いつの物なのか、何の目的で作られたのかハッキリわかってはいないが、
少なくとも、この地震があった天武期には、防衛上にせよ、宗教上にせよ、或いは政権の権威付けにせよ、その役目は終えていたことが解る。
地震の後、修復しようともしていないのだから。
或いは、作られた当時と天武期とは、政権の断絶があったのかもしれない。
止めた。
話が止まらなくなる。
久しぶりにいい汗かいたぜ。
さ、帰ろっと。
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